翻訳をキャリアにした、とある母親の話

single mom

わたしの名前は山田今日子。35歳のシングルマザーだ。

わたしの子どもの名前は美沙。今年で4歳になった。この年頃の子どもというのは、一瞬たりとも目を離すことができないから本当に大変だ。しかし、私は比較的に短い期間で翻訳者としてのキャリア開発に成功した。今日は私のちっちゃなサクセスストーリーを共有したい。

元旦那とは大学に入りたてのころに出会い、そのままダラダラと29歳まで付き合った。最後は成り行きで結婚。お互いに初めての恋人だった。

幸い、私は30を過ぎていたが、結婚後すぐに子どもを授かることができた。出産のときは、融通の利きづらい会社に勤める彼も知らせを受けるとすぐに飛んで来てくれた。そして、一緒に生まれてくる子ども見て、これからの生活を夢見ていた。

私が当時勤めていた会社は、それなりに名のある出版社だったが、ブラックな会社だったので、産休など取らせてもらえなかった。妊娠を隠しきれくなったとき、地方の営業所への異動を言い渡された。つまり、間接的なクビというわけだ。

そのときは、彼は狼狽したものの、産休という形で失業を認めてくれ、保育園にあずけられる状態になってから、また仕事を探すということで納得してくれた。

退院して家に帰ったとき、彼は優しかった。私の体と子どもを気にかけてくれ、激務に加え、ほとんどの家事もしてくれた。私は、涙して彼に感謝した。そう、本当の幸せを感じたときだった。

このような生活は1か月も続かなかった。彼が残業を言い訳に外泊するようになった。最初は、きつい会社だし、「仕事に追われて大変なんだろうな」と受け入れていた。

しかし、この状態がさらにもう1か月続くと、私は子育ての辛さと、寂しさから気がおかしくなりそうになった。

頼れる人も近くにはいない。

私の母は私が幼いころに亡くなっていた。その後、父親が男手ひとつで私を育ててくれたのだが、父親には悪い遊び癖があった。

父は当時、祖母が出資して立ち上げた工場を経営していた。工場といっても、町工場のような小さなものだったが、愛想の良い母が事務や営業をしていたため、それなりに繁盛していた。

母が亡くなってから、父親は遊び金ほしさに工場の重機を売り始めた。そして、毎晩のように夜の町へと出かけていった。

私は、ひとりぼっちで家にいることが多かった。ときには、数日も父が帰らないことさえあった。それでも、近所に恵まれていたのか、見かねた近隣の住民たちが私に食べ物をくれたりしていた。

とうとう工場の重機が全てなくなった。そのような状態では仕事などできない。そこで、父親は工場を売り払って、私を祖母のうちへと送った。その後、私は父親に会っていない。

そんな祖母も私が28の時に亡くなった。

話を戻そう。こんな幼少期を送ったせいか、私は「母親になって、子どもを普通に育てたい」、「寂しい思いをさせず、普通の家庭が与えてあげられる幸せをあげたい」という気持ちを強く持っていた。

旦那の帰りがまちまちになったとき、父親のことを思い出していた。父も、もういい歳だろう。今頃どうしているのか…。

子どもと2人きりで、旦那が戻らない不安を抱えてすごくのがこんなにも辛いものだったなんて…。

ある休日、彼が突然話があると言い出した。

私も薄々気がついていたが、別れの話だった。

理由は大したことではなかった。

「もう女として見れられない」、「別に愛していたから結婚したわけじゃない」とか「もう好きとか、愛しているとか、そういう気持ちがなくなった」。

それもあるだろうけど、他に好きな人ができたのは知っていた。知らない女から電話があったり、スマホをいつも肌に離さず持つようになったから。わかっていたのに、向き合おうともしなかった。

私は、彼の言っていたことよりも、これからの生活に非常に不安を感じた。

彼は出て行ったあと、弁護士を通して連絡してきた。その後の会話はすべて弁護士を通して行うことになった。彼の状況だと、月2万円の養育費を払うのがやっとだと言う。

たったの2万円。私はどうやって生活していけばよいのか…。

もう仕事を辞めて2年くらい経っていたし、子どももまだ小さい。保育園にあずけることは可能だが、どうすればいいのか…。

私はオンライン求人サイトを見て回っていた。そんなとき、ある広告が目に入った。

在宅翻訳者(英日)になりませんか?未経験でも大丈夫。月収80万でも目指せます」。

私にとって、翻訳家とは、海外留学で言語を勉強し、帰国してから大手出版社などで働いている超エリートというイメージしかなった。

その広告主の経営者の名前は、胡散久才(うさん くさい)。年収1,000万を稼ぐ現役の翻訳者だそうだ。

彼の講座は、「Damashite Nanbo」という短期の集中講座らしい。

「そんなことを言って、どうせ高い講座料金を払わせるんでしょ」と私は信じなかった。

その夜、私は美佐を寝かしつけた後に考えていた。

英日翻訳者か…。実際にはどういうものなんだろう…」。

私はGoogleで「翻訳者 なる方法」、「翻訳者 年収」、「翻訳 主婦 副業」など、翻訳者についての情報を調べてみた。

すると、「Life Developer」という、経験豊富で優秀そうなAiden Pearceさんが運営するサイトを見つけた。彼はフリーランス翻訳者歴10年で、翻訳者になりたい人や、現在目指している人のためのコンテンツを無料で提供していた。

サイトのデザインはシンプルそのものだったが、彼のブログ記事は誠実さが感じられた。Twitterのフォロワーこそ少ないものの、フォロワーからも熱いコメントやリツイートを受けていた。

私は、あの怪しい講座よりも、無料の彼の情報のほうに信ぴょう性があるように思えた。

そうか、翻訳者って誰にでもなれるチャンスがあるのね…。でも、それなりの時間と労力が必要か…」。

幸い私の英語力は悪くはなかった。前の会社では、英語の記事を読まされることもあったし、社内の英語のできない人たちのための説明代わりちょっとした「翻訳」的なことをしたことさえあったからだ。

私にも…できる…かな…。

そう思い、きちんとした英語力を測るためにTOEICを受けることにした。6,490円という料金は、失業中の私にとってはキツいが、すぐに申し込みをした。

しばらくして結果が出た。何も準備せずに受けたのであまり高得点は出せないと思ったが、550点であった。Aidenさんの記事にはこうあった。「900点以上をたたき出しておけ」。それにはまだほど遠いけど、勉強すればなんとかなるかもしれない…。そう思い、私はTOEICの勉強を始めた。

まずは教材だが、できるだけコストを抑えたかったので、フリマサイトを利用した。これはなかなか良い方法だった。新品に近いものを安く購入することができた。

次に、私は少しでも英語に触れていこうと思ったので、英語学校の受付の求人に申し込んだ。このスクールでは、従業員は無料で空きのあるクラスを受講できるという得点があった。よい機会だと思い、中学校の英語から勉強し直した。幸い、参考書を買う必要はなく、スクールのものを無料で使うことができた。

かなりキツい道のりになると思っていたが、意外と楽しめるものだった。

中学のときにはわからなかったことでも、大人になって再び勉強することで理解できることや、新たな発見があったのだ。

「勉強が楽しい」。

私が人生で初めてこんなことを思った瞬間でもあった。

超基本の文法や単語などを勉強しているうちに、TOEICの勉強もはかどっていくのを感じた。

リスニングは経験がものをいうので、朝起きてすぐに練習問題を20問ほど解き、寝る前にもまた20問ほど解く、これを日課にした。

私には今さら留学などをする余裕などない。子どももいるし、お金もない。でも、どうにかして英会話やリスニング力をつけなければ…。

そのとき、アリババ創業者のジャック・マのストーリーが頭をよぎった…。彼のやったことをパクればいいのでは…。いや、彼がやっていたのは、もうずいぶん昔のことだし…。私は一瞬躊躇したが、やってみなければわからないと自分に言い聞かせ、行動に移すことにした。失敗しても失うものはない…!

私は朝、保育園に子どもを連れて行ったあと、11時からの受付の仕事の前に、国際空港や大きな駅など、外国人が大量に集まるところへと出かけ、困っている人を助けた。そう、あのアリババの創業者、ジャック・マが子どものころ英語を学ぶために外国人が集まるホテルへと出かけ、無料で案内をかってでたというアレだ。

私は英語をうまくしゃべれなかったが、外国人といっても英語がネイティブじゃない人もたくさんいる。お互いヘタな英語でコミュニケーションを取ることもあった。また、このおかげで、さまざまなアクセントにも触れることができた。

戸惑ったことも多かったが誠意さえあれば、意外と伝わるものだ。しかも、これは仕事ではないから、失敗を恐れずに取り組むことができた。

この学習方法は非常に有益だった。なにせ費用が一切かからないし、助けた人々からは感謝される。とても、有意義な学習方法であった。

それから3か月が経過した。私は再びTOEICのテストを受けた。今回のスコアは850点にまで上がっていた。

よし、目標達成までもう少しだ。でも、そろそろ翻訳の経験を積まないと…。

ここで私はAidenさんが書いた記事を思い出した。「経験がなければ、経験をつくりだせ」、「インターネット上には未訳のテキストであふれている」。彼の熱い言葉が頭で響いた。

私はニュース記事や出版関係の英語に慣れていたので、英語圏の日本語訳のないニュースサイトを探した。すると、小規模で聞いたことのないようなサイトでも、世界中のニュースを発信しているサイトは無数にあった。

私はすぐに、「Contact Us」のページから、このニュースサイトの管理者にメールを出した。そのメールでは、私が駆け出しの翻訳者であること、経験を積むために単価が安くても構わないから日本語訳を提供させてほしことを説明した。

もちろん、一筋縄ではいかないことはわかっていた。私が出したほとんどのメールに返信はなかった。でも、私は諦めなかった。

こんなメールを何通書いただろう。本当に返事は来るのだろうか…。

そんなある日、メールに返事が帰ってきた。

その内容に、私は驚きと喜びを隠せなかった…。

「読者が増えていることから、日本語へのローカリゼーションを考えているところでした。しかし、予算があまりないので、大手の翻訳会社に頼めず、途方に暮れていたところだったのです。ぜひ、よろしくお願いいたします」。

単価は0.05 USDと低めだったが、土日を除いた毎日の翻訳を頼まれたのだ。テキストの量も多すぎず、300〜500ワード程度だったので、家庭教師や塾講師、子育てと両立しても無理のないものだった。そして、Aidenさんが言っていた「レギュラーの仕事をつかめ」というものにも一致していた。

最初の頃は慣れていないこともあり、300〜500の翻訳に2時間半くらいかけていた。とにかく、間違えたり、ミスをして信頼を失わないようにしないことを重要視した。ここでもまたAiden Pearceさんの「信頼を築くのは難しいが、失うのは簡単」という言葉を頭に焼き付け、リサーチを怠らず、クオリティチェックやQAなどを自分でやっていった。

1か月が過ぎ、私は人生初めての翻訳料を受け取った。

私が翻訳で初めて得た収入、それは「4万2000円」だった。

どこかの怪しい講座が言う「初心者でも80万」には、ほど遠いが。私が在宅で仕事をして得た収入と考えると嬉しくてたまらなかった。

私はこの4万2000円すべてを翻訳のための勉強、すなわち投資に使った。

翻訳業界でも名前が知られているアカデミーのオンライン学習教材(2万円)に申し込みを行った。そして、残りの2万2000円はAidenさんが紹介していた書籍に使った。また、自分で書店に行き、手に取って自分で選んだ翻訳の勉強の本や文章術に関する本も購入した。

そして私は、これらの教材や本を何度も何度も読み直し、問題を解き直し、少なくても10回は繰り返して使い倒した。

実務を初めて2か月が過ぎたとき、私はまたTOEICを受けた。

今回は910 点を取ることができた。これで、TOEICの問題は片付いた。これで「TOEIC何点ですか?」の質問にも即答できる。

3か月が経過したとき、私は思いきって翻訳会社のトライアルに挑戦した。書き込むことのできる実務は少なかったが、ニュースサイトの運営者が、私の履歴書に推薦者として記入することを快く承知してくれた。また、推薦状まで書いてくれた。その内容もすばらしく、「いつも必ず時間通りに納品してくれ仕事も丁寧です。本文のミスや、情報漏れなど、原文の配慮もしてくださり非常に助かっています」と書いてくれた。

そのためもあってか、私の実務経験は少ないが、ある大手の翻訳会社の書類審査に通った。そうそして、トライアルが送られてきた。

トライアルのワード数は300程度であったが、期限は1週間も与えられた。私は長期的な成功を考慮し、このトライアルに1週間をかけるのではなく、1日で納品することにした。これもAidenさんの素晴らしい記事でアドバイスされていたことだった。

トライアルの結果はわりとすぐに出た。しかし、結果は不合格だった。

コーディネーターの話では、私の点は合格点にはわずかに届かず、不合格になったという。

しかし、翻訳を丁寧に行おうという姿勢や、コミュニケーション時に見られる誠実さが評価され、ボリュームを少なく調整させてもらえれば、仕事をお願いしたいと言ってきたのだ。

私は信頼を構築して、スキルアップを図るため、とにかく丁寧に仕事をこなしていった。仕事のスピードは遅くても、丁寧さを売りにして…。そして、たとえワード数が30ワードでも、1,000ワードでも、同じように自分が提供できる最高の品質を自分に厳しく評価して、それを納品していった。

また1か月が過ぎた頃、この翻訳会社のプロジェクトマネージャーが独立して翻訳会社を立ち上げるので、ぜひそこのメイントランスレーターとして登録してほしいとオファーしてきた。私はもちろんオーケーし、新たな登録を行った。これまでの信頼があることから、レートも10円と、私みたいな初心者には高い設定が行われた。

ボリュームも徐々に増えていき、1日2500ワードほどもこなすようになっていた。つまり、レギュラーのニュース翻訳を含めると3000ワードほどを処理できるようになっていた。

そして、受付の仕事を辞め、だんだんと翻訳の仕事に時間の使い方を絞っていった。

そして、半年が過ぎた。私の翻訳者としての月収は25万を超えていた。徐々にレートの高いオファーも来るようになった。また、Aidenさんのアドバイス通りWebサイトも立ち上げたため、検索エンジンからオファーもくるようになっていた。

このまま順調に…。

そう思っていたある日、保育園から連絡がきた。

「美沙ちゃんが腹痛をうったえています。それに、最近は友達とも遊ばなくなって、隅のほうでじっとしているんです。ご家庭で何かありましたか?」

私は、すぐに理由がわかった。そして、自分に怒りさえ感じた。

美沙は、この年齢で胃炎になっていたのだ。

それは、私が翻訳や英語の勉強に必死になるあまり、美沙を全然かまってあげられていなかったからだ。保育園から帰って6時。そして、すぐに食事を食べさせ、その後はおもちゃを与えて、遊ばせているうちに家事を行っていた。

時折、美沙が私に話しかけても、「ママは、忙しいから後でね。いい子にしていてね」と言ってかまってやれていなかった。

「ママ、これ見て」とお絵かきを見せたときも、「ママ、本読んで」と言ったときも、「ママ、あのね…」と話しかけてきたときも…。

私は「自分が経験した寂しい思いを決して子どもにはさせまい」と思っていたが、私はまさに子どもに寂しい思いをさせていたのだ。

私はすぐに美沙を迎えに行き、そして泣きながら謝った。

「美沙…。ごめんね。ママ、全然美沙のことを見てあげられてなかった…」。

すると、美沙はこう言った。

「ママ…。泣かないで…。美沙、いい子にするから…。美沙、知っているよ、ママがお勉強してること…」。

私は美沙が言ったことに驚いた。つい最近まで抱っこしなければ寝れられなかった美沙。手をつながないと出かけられなかった美沙。その美沙が、たった4歳で、こんなことを言うなんて…。私よりも大人だとさえ思った。

私がこの子にストレスと寂しさを募らせてしまった。母親失格だと、そう思った。

そして、私はその日からスケジュールを見直した。美沙が帰る前に家事を済ませる。そして、帰って来た後は一緒に食事をし、その後一緒に過ごす。そして、美沙が眠った後に仕事や勉強に励むことを。

朝は5時に起き、仕事を進め、8時に美沙を起こして保育園に連れて行く。昼まで仕事に集中し、バランスの良い昼食を取る。その後、勉強して仕事をする。そして、夕方美沙を迎えに行く前に家事をする。

私は、このスケジュールを完全にルーティン化させた。

しばらくして、美沙にも笑顔が戻っていった。保育園からも特に何も言われなくなり、連絡ノートには楽しくお友達と遊べていますと書かれていて安心できた。

「翻訳という副業は、子育てで忙しい主婦にもぴったり」なんていう安っぽい宣伝を見たことがあるが、そんなものは易々と言うものじゃない。時間の配分をきちんとしなければ、主婦で翻訳の仕事をやって、家事、子育て、すべてを両立するのは不可能だ。

その半年後、私はシングルマザーの方や、子育てをしながら働く女性の力になれればと思い、Twitterやブログを通じて情報発信を始めた。

すぐに多くのフォロワーが集まり、多くの人たちとつながり、気持ちを共有していった。

そして、あるとき、ある出版社から連絡があり、私のストーリーで本を出したいというオファーまできた。

私の本はすぐに世間に広まった。

そして私は翻訳者、ブロガー、作家、そしてインフルエンサーとなった。

私の話は、成功というにはまだ遠いのかもしれない。まだまだ未熟なところもいっぱいある。でも、私には誇れることがある。

それは、あやしい近道を選ばず、お金がなくても健全に勉強し、自分で調べ、自分で行動し、自分でキャリアを切り開いたのだ。

今私は、この話を自宅のソファーで書いている。リビングで美沙が楽しそうに遊ぶのを見守りながら。

誰にでも翻訳者になれるチャンスはある。高い講座や、学校に行かなくても。必要なのは、行動と継続だけ。あなたにもチャンスはきっとある。

誘惑に負けないで!

このお話はフィクションです。実際の人物や団体とは一切関係ありません。(ぼくは存在するけどね)

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