“初心者”という名の免罪符

forgiveness

インターネットの広がりで、今や新しいことに挑戦し、新しいことを学ぶ上で、助言を求めたり、質問することが比較的に簡単になった。

何かを新しく始めるにあたり、自分がド素人であることを自覚して、基礎からきちんと勉強しようという気持ちを持つことは重要だ。ネットの世界では、ご丁寧にもわざわざ自分の名前やハンドルネームの前に〜初心者と書く人まで存在する。

初心者であることを認める姿勢は大事だが、初心者というタイトルは、何か失敗したときの免罪符としては機能しない。

よくフォーラムで「〜初心者で、こんなことを聞くのは場違いかもしれませんが」からなんて出だしで始まる質問を見ることがある。

ぼくは、こういう物言いを見ると虫酸が走る。

「初心者ってつけたから、自分でさほど調べてないけど、質問しても許される」。

「初心者だから、みんな優しく教えてくれるよね」。

こうのような意図が感じられるからだ。こういうやつに限って、要件がなかなか始まらなくて、自分を守ることしか考えていないんだ。

初心者を主張する心理

psychology

そもそも初心者とはなんだろうか。何かを学び始めて1日、1週間、1か月、1年、3年、5年?だいたい、どこから初心者で中級で上級になるんだ。

ぼくは、初心者であること強調する人や、自分から初心者というタイトルを付けたがる人は、失敗したときのために保険をかけているようにしか思えない。何かあったときに、「あ、そうなの?あ、でも、初心者って言っておいたよね」って。そんなの保険にはならないけれどね。

本気で何かを学び、プロと呼ばれる領域まで達したいのなら、「初心者」なんて肩書きは邪魔にしかならない。「初心者」と言ってしまえば、プロのレベルで勝負する人たちのところに入り込めなくなる。

時として図々しい

selfish

ぼくには、「初心者です」という主張は時として図々しいくさえ思えることがある。

ぼくは学生の頃、大学のアシスタントで、ピアノが専攻でない人たちのためのピアノのクラスを教えたり、チューターをやっていた。

初心者なんだから、全部わかりません。一から全部教えてください。だってお金もらってんでしょ?

という人が必ず一人はクラスにいた。たしかに、個人のレッスンやチューターをやるなら、「一から手取り足取り教えてください」というのもわからなくはないが。

実際、こういう人たちに限って上達が遅いものだ。初心者だから教えてくださいって人は、どこか他力本願なところがあり、自分から勉強しよう、練習しようという意欲が見られない。

そして、なんていっても困ったのが、「こんな難しい課題を初心者に出すとはなにごとか」と怒られたことさえある。

ぼくは課題というものについて、その人の現在の技量で楽にできるタスクを与えた場合、それを達成できたとしても学べるものは少ないと思っている。だから、課題を出すときは、その人のレベルではちょっと難しいことを選ぶようにしている。ちょっと難しいけど、無理じゃないレベル。超頑張ればできるレベル。それができたときの経験値と達成感は計り知れない。

しかし、それをやると、怒られるのだ。だから、こんなのは理不尽だとよく思ったのを覚えている。

話を戻すが、初心者でも黙って練習し、わからないところを自分なりに考えて質問に来る人は、上達も早い。なにせ向上心があるから、こちらが「あれしろ」、「これしろ」を言う必要がない。「どうやってやるか」を教えるだけだ。

何かを学びたいときは、お客さんになったつもりでやってもうまくはいかない。お金を払っていても、教えてもらえる部分は非常に少ない。「初心者だから一から教えて」は、「自分で学習する能力もないバカだから、一から全部教えてもらえないと何もできません」と言っているようなものだ。大きな上達では、練習したり、自分で試したりする時間が、実際に教えてもらう時間を圧倒的に超えるのだから。

初心者というのは、初心者どうしが集まるためだ!

crowd

「初心者」というタイトルを掲げるのは、初心者たちが集い、ともに頑張るためだという言い分がある。

しかし、初心者たちがただ集まって、お互いの初心者ぶりを共有したところで何も生まれない。

本気で何をかを学び成果を出すとなれば、できるだけ早く初心者の領域から脱出しなければ始まらない。初心者である限り、まともなプロジェクトには取り組めない。

プロジェクトが翻訳だったらどうか。いつも「初心者ですが」、「初心者なので」と言って顔色をうかがいながら学習している人と、初心者でありながらも、積極的に学び、プロたちに囲まれてタスクをこなしている人とどっちに見込みがあるだろうか。

もっと言おう。ソフトウェアエンジニアだったらどうか。「プログラミング初心者です」と言い、フォーラムで助言ばかり求めてるいる者と、初心者でありながら、今ある知識でコードを書き、問題を解決し、ソースコードを公開してオープンソースに貢献する者どちらに将来性があるか。

初心者のラベルを取っ払い、外に発信することはいつも歓迎されることではない。批判もあるだろう。間違いを指摘されるだろう。ダメだしされるだろう。しかし、そうやって学んだことは経験値となって自分に返ってくる。

ここで「初心者ですが…」と言って、「ぼくも初心者です」、「ああ、そうなんですね。一緒にがんばりましょう」と、初心者の枠に収まって、ぬくぬくと安心しているようでは先に進むスピードが落ちるだけだ。

さいごに

自分を「初心者」と呼び叫んでも、免罪符にならない。それどころか、成長まで遅れるので悪いことしかない。さぁ、「初心者」なんて言わず、さっさと初心者を抜けだそう。

ぼくは駆け出しの頃、初心者とか、経験が浅いとか言うのが嫌だった。でも、気が小さいもんだから、いつもフィードバックにおびえていた。ダメだしされる度にに傷ついていた。でも、そのうち慣れて、もっと向上できると思うようになっていった。そうなってしまえば、もうこっちのものだ。

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